この記事は、こちらの記事の続きです。
観葉植物を素敵に飾った室内って癒されますよね。これはもう誰でも「うん、その通り」としか言いようがないはず。オシャレなインテリア雑誌とか、マンションのモデルルームには必ず観葉植物があります。観葉植物というものはオシャレ空間の演出に欠か[…]
前回の記事でご紹介した、
われわれが観葉植物を扱うにあたって気を付けたいポイントは、この3点です。
1.扱う植物は最低限、興味を持てる植物にする。
2.大きさは出来るだけ小さいものにする。
3.成長が感じられる植物にする。
「最低限これだけは」という条件ですが、この3点を満たしたとしてもそもそもの問題点として、観葉植物を育てる(ともに生きる)ということ自体、わたしたちにとってはハードルが高いことだと思うのです。
それはなぜか。理由は2点あります。
1.水やりのタイミングが難しい
過去に育てた植物すべてに共通していたことですが、水やりというのはただ水をあげていればいいということではなく、その植物に適した水やりのタイミングが存在します。
植物を育てることに情熱を注げる人なら別ですが、われわれのようなちょっと発達障害を患っているような人間にとって「それなりに」とか「いい感じになったら」とかというあいまいなことばで表現される指示は分かりにくいです。
「土の表面が乾いたら水をあげる」とかね。「いつ乾くのかな~?」と思って意識しているうちはいいけれどそのうち忘れますからね。意識することを。
「冬は乾燥気味に育てましょう」とかもう、どうしていいかわかりません。それはどういうふうにすることなんですか?(具体的には?)と思いますよね。そんなふうなあいまいな指示は、はっきり言ってイジワルだと思う。
われわれは、どうあっても「常にコレ」というオートマチックな指示が欲しいのです。
つまり
「毎朝、受け皿に流れるくらいに水をたっぷりあげる」
「1週間ごとに肥料をあげる」
「冬の間は1回も水をあげない」
などです。
「植物の様子を見て臨機応変に」というのは難しいのですね。
例えば「冬は乾燥気味に」育てるのであれば、「『冬は乾燥気味に』という意味は、9月から3月まで、1回も水をあげないことです」とか言ってくれないと。こういわれれば分かりやすいですよね。
かといって誰かが、ここまで丁寧に我々向けに植物の育て方を指示をしてくれるということは考えにくいので、水やりに気を使う植物はすべて無理だと考えた方が無難です。
2.飽きる
何ごとも、興味のあるうちはいいのです。植物だって、最初のうちはすごく一生懸命に世話をします(世話をし過ぎて枯れる場合もあり)。しかし、どんなことにも飽きがきます。お値段が高かった観葉植物も、いずれは飽きます。もうこれは運命です。飽きたらもう、お終いです。興味を失いますし、興味を失うということはお世話をしなくなりますから、植物は枯れます。
観葉植物の欠点はまさにここで、地植えの場合には人間が興味を失おうとも、生きる力が強い植物ならば土と雨で生き延びますけれども、植木鉢に入った室内の植物はそうはいかないのです。
飽きるということは「=植物の死」を意味します。だけれども、飽きないということはない。わたしは万時において、とても飽きっぽいです。
飽きたからと言って生きている植物を突然ゴミに出すのは気が引ける。かと言って水をあげないと死んでしまうことは分かっているけど飽きちゃってるから水をあげて元気にしたいという気持ちもない(自然と枯れてくれたら心おきなく処分できるのにと思ったりする)。いつかは絶対に飽きてしまうので、いずれは絶対に枯らすことになるのです。
3.植物を育てられないことで、自己概念が下がる
興味あるうちはお世話を頑張るけど水やりのタイミングが分からず、水やりしすぎで枯らすし、いつかは飽きて世話をしなくなる=植物が枯れる。そうすると
「わたしってなんて冷たいんだろう」
「わたしは植物を育てることもできないのか」
という気持ちがわき起こります。自信喪失。
「なんでわたしはこんなこともできないんだろう、どうしてこんなに飽きっぽいんだろう、人間関係がうまくいかないだけでなく植物との関係すら結べないのか」などと自己嫌悪に陥りかねません。
発達障害グレーな女性の場合、総じて自己概念は低いと思うのです。どうしてそう思うのか?というとわたしがそうだからです。決めつけです。
わたしの周りにはわたしと同じようなタイプの人間はいないですが、これを読んでいる方の中には「うんうん、そうだよね」という方もいらっしゃることでしょう。
自己概念が低い人間は、ありのままで自己概念が低いうえに、何かが起こるとさらに自己概念が下がりがち。
ではどうすればいいのか?というと、自己概念が下がると分かっていることは最初から手を出さなければいいんです。最初から観葉植物との共生を諦めた方が話は早いです。
しかしそれでも観葉植物を育てたいんだ!ということもあるでしょう。
その場合は、
- 水やりのタイミングが難しくない
- 飽きてもいい(飽きることは確定しているので、心を痛めることなく捨てられる)
- うまく育てられなくても、自己概念が下がらない
このような条件を満たす植物を選べばよい、ということになります。
われわれに向いている観葉植物とは?
上記の条件を満たす植物であれば、われわれでも「観葉植物を育てられる」可能性があることが分かりました。じゃあ、それって何?具体的に何?
はっきり言ってしまうと、そんな都合のよい観葉植物なんてありません。普通の植物においてこの条件が当てはまるものは、わたしには思いあたりません。
だって、水やりは適当でよくて、飽きていい・うまく育たなくていい・飽きたら捨てていい、って言っているんですから。
それはちょっと、あまりに乱暴じゃありませんかね?普通に考えて捨てちゃダメでしょ。
しかしそんな植物が・・・、
試行錯誤の結果、ようやく見つかりました。それが再生野菜の水耕栽培(キッチンガーデニングです。
次回は「観葉植物に代わりに再生野菜の水耕栽培をおすすめする」ことについて、詳しく書きていきます。