幸せを感じるラインが低いと、いいこともある

先週少し体調が悪い日があり、めずらしく食欲がなかったわたし。一日のメインである夜ご飯も、数口食べただけでそれ以上食べられませんでした。

その後、夫が帰宅して食事をしている時、カレーなら食べられそうな気がして「なんか今日は全然食欲なかったんだけど、カレー食べたいな。カレー食べようかな」というと

食べた方がいいよ。俺が作ってやろうか?

といって、鍋にお湯を沸かし、レトルトカレーをぐっつぐつに温めてくれました。我が家ではレトルトカレーはめったに食べないし、「レトルトカレーはコレ」というものが決まっているのでレトルトカレーはいわばごちそうです。

そんな我が家の「レトルトカレーはコレ」はこちら。

銀座カレー中辛です。

久々に食べました。めっちゃおいしい。レトルトカレーでここまで美味しいってすごい。

ご飯をよそったのはわたしですが、夫がカレーを温めてお皿にルーを入れてくれました。こういうふうに世話を焼かれることってほぼないので、とても嬉しかったです。愛を感じる。

なんてことのない「ただカレーを温めて皿に入れた」というだけの話なんですが、心がほっこり温かく、幸せを感じました。

周りに刺激を受けやすい人間の場合、幸せを感じるために大きな刺激は必要なく、小さな刺激で十分です。ここ数か月でわたしが幸せに感じたその他のこととしては、寝る前に夫と目が合って微笑んでくれたこと。庭のほうれん草を収穫している時と、散歩しながら近所の桜を見あげた時と、庭のドクダミが根っこごと抜けた時も幸せだなと思いました。

わたしのようなタイプの人間には、ことさら大きな刺激は必要ないのかもしれません。大きい刺激になると、幸せを感じるレベルを通り越して苦痛になることさえある。

例えばわたしは年に1度のお祭りとか飲み会とか、そういう場は苦手ですが、なんでなのか・・・と考えたとき、これらの刺激がわたしには強すぎるからということに思い当たりました。知り合いとは「偶然会ったときにちょっと立ち話」がちょうどよい楽しさで、わざわざ集合してカラオケボックスで大騒ぎしようとは思いません。仮に近所の母親同士でカラオケボックスにあつまって遊ぶような場にわたしがいたとしても、苦痛すぎて息が苦しくなるでしょう(誘われたことはありませんけども)。

年に1度バカ騒ぎして、みんなでお祭りだーーーと騒いでストレス発散したいなんて思ったことがありません。心が安定さえしていれば、天気がいいとか今日の味噌汁はおいしいとか、ちょっとした小さいことにも幸せを感じられます。これは刺激に敏感な人間の「良い部分」だと思います。刺激はできるだけ少なく、穏やかな日々が一番。

しかし小さいことに幸せを感じられる反面、刺激全般に弱いので、ストレスを抱えやすい。だから大勢の人の中とか会社とか組織とか、人間がいっぱいいていろんな感情が渦巻いている中というのは恐怖であって、自分をうまくコントロールできない、不快で苦痛な場所になってしまいがちでした。

20代のころ、上司に「あなたはメンタルブロックが強いね」と言われたことがありましたが、自分を守るのに必死だったのかもしれないなと今になっては思います。なんならなにかと攻撃してくる人さえいるしね、社会には。

そんなわけで、今のわたしは「そういうわたしの特性」がつかめてきたので、以前よりも格段に生きやすくなったし、幸せを感じられることも増えました。小さいことに幸せを感じられるといってもそれは心が安定していればこそ。心を安定させるためには、わたしの場合は人間関係をできるだけ小さくする必要があったようです。


我が家の大好きな銀座カレーはいつも数種類家においています。

次はキーマを食べようと思っています。

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