ipad初のバックアップで、自分の出来なさ加減にうんざりする。

わたしは普段ipadを使っているのですが、こういう機械ものは普段はとても便利なんだけど、使っていくうちにどうしても手入れが必要になってきますね。

今回それが必要になったのは写真が溜まってしまったからです。

写真は撮ったらそのまま放置したい。だから放置してたけど、ついに本体の容量が足りなくなってしまったらしい。ついこの時がきてしまった。先延ばしにしていたけど、いつかその日がやってくることだとは分かっていた。「まだいいや」と先延ばしにしていたけれど、もうどうにもできないところまできてしまった。
だからと言って写真の全消しはしたくない。

こうなってくると、写真を移動しないといけない。そのついでにバックアップにも取り組もう、ということに、自分の中でなった。

バックアップって、聞いたことはあるけど、別にやらなくたって死なないしね?毎日ipad使ってる中で困ってないからやっていなかったけど、この間ipadでお気に入りに入れてた情報が全部消えるという事件が起きた。

夫に聞くと「バックアップから戻せばいいじゃん」というけど、バックアップなんてやっていない=戻しようがない。

こういう時はわたしは無くしたものは潔く諦める、ということで乗り切ってきました。およそ3年くらいかけて貯めてきたお気に入りリスト。多少「あぁ・・」とは思ったけど、でもそんなに今では見ていない、今は必要なかったというものもあるし、結局そういうものはなくても大丈夫なんですね。ここは潔く断捨離だ。大事な仕事のデータとかじゃないし、被害は自分にしか及ばない。

だから今回もそれで乗り切ったんだけども、写真7000枚のデータは全部消えちゃうのはイヤだな、と全部が消える前に気づいたから、対策をすることにしました。つまりバックアップです。

ここまでが前置き。バックアップに取り組むとなるとitunesというものにつなぐらしいんだけど、「なんだよーー、めんどくせーなぁ」と思いつつもitunesをダウンロードしたのに、これがどうやってもつながらない。パスワードを何回入れてもログイン出来なくて、これだけでもうくじけそうになった。

ログイン出来ないっていうエラーをネットで調べても、ピンとくる対策は出てこないし、パスワードも間違っていないので、もうこの作戦はあきらめた。これ以上、この作戦においてわたしがでいることは何一つ、ない。

次に何かしらのソフトでバックアップ出来ないか?と思い、これにしようかというものを一つインストールしてみた。どのソフトにするかを決めるまでに、すでに数時間が経過してるからだいぶ疲れ果ててるんだけど、でもとりあえずインストールまではこぎつけた。

ようやくインストールし、イントールしたものを開いたんだけど、開いたらアンインストールするか聞かれる。え、なんで?

アンインストールって、消すって意味じゃないの?
でも、開いたらこれが表示されるんだからこれでいいのかな?もしかしてそういうことも・・あるのかも。と思ってやってみたら、やっぱりアンインストールだった。それはそうだよね、「アンインストールしますか?」「はい」ってやり取りなんだから。

さんざん考え抜いてインストールしたものを、何もしないうちに即アンインストールするという無意味な作業に全力で取り組んでいたということだ。一体なんなんだ。

次に「さっきのソフトはわたしには使えなかった。レベルが高すぎた。インストールしても意味分からないし。もっと使いやすい簡単なソフトはないものか?」と検索。ここで数時間使ってようやく「じゃあ、これにしようか」という物が見つかって、気を取り直してイントール。

で、インストールしてから気づいたんだけど、驚くべきことにさっき消したばかりのソフトだったんだよね。びっくりした。周り回って同じ物に戻ってきたらしい。
いや、でもそれはおかしいじゃない。だってたった今数時間かけてよさそうなヤツを探したんだよ?さっきのはダメだったから、もっといいやつを、と思って探したんだよ?それでようやく見つけたヤツなんだよ?どっと疲れが・・・・。
なんなんだ!デジャブー?

しかし今度は先ほどと違い、デスクトップにそれっぽいアイコンが出来てる。さっきと同じことをしたのになぜ違うのか。それは分からない。

それは分からないけどとにかくインストールは無事に終了したらしい、ヤッタゼ。

ということでそのソフトを起動してみたんだけど、どうやってもつながらない。ipadはUSBでつないでいる。ここ、見落としがちだけどわたしは用意周到にちゃんとやった。これはわたしとしては珍しい快挙。準備はばっちりなはず。

それなのにこのソフトときたら、ipadからパソコンへというボタンをクリックしているのになぜかわたしのipadには写真とか連絡先とは全部「データは空です」と出てくる。データ0ということは「写真は1枚もありませんよ」っていうことじゃん!

そんなわけないでしょーーー!!!
だってそれらがいっぱいだからなんとかしなきゃという話なんだからさ。

どうしてつないでいるのにデータ0なのか?このソフトってどうやって使うの?使い方が間違ってるの?とここでまた、検索につぐ検索。

これをやりきるのが今日の課題だったのに、いつものにか24時を超え、次の日になってるのよこんなことで。

もうだんだんイライラもピークになってきて、わざわざ「お休み」を言いに来た子どもにも「はぁ!??」「マジでムカつくんだけど!!」と八つ当たりしだす始末。

「うひゃーーーー、もう、マジで。マジでどうしていいか分かんないんだけど、どうしたらいいのよぉーーー」「もう!」「もう!!」と1人頭を抱えて発狂しそうになったころ、ipadにつないていたUSBが、ipadにはつながってるんだけどその先がパソコンにつながっていなかったということに突然ピンと来た。わたしはパソコンにつながず、充電していたようだ。

ひとしきり「はぁ~・・・・」と脱力し、気力を振り絞ってパソコンとipadをつないでみたら、写真0から脱出。なんとかパソコンに移動できたっぽい。写真以外のデータも、一応バックアップをわたしの中ではしたけど、どんなものがバックアップできたのか出来ていないのか、バックアップ場所もいまいちわからないし(指定したところにないし)、もう「バックアップした」、ということにすることに、した。

ここから先は実際にそのバックアップが必要になってから考えよう。ひとまずこれで、何もやっていないよりはいいだろう。

Madskip / Pixabay

もうさ、バックアップ関連の作業に何時間かかってるんだろうか。わたしが、こんな感じで超絶のろまなスピードで進んでいく(しかも確実ではないし、進んでいるかどうかすら確実ではない)よりも、誰かにやってもらったほうが絶対早いし正確なのに。わたしがやる意味ってあるんだろうかと思っちゃう。

わたしの人生なのでわたしがやるしかないことは多々あるし、出来るだけ自分のこと自分で出来るようにしたいけど、あまりにも効率が悪すぎて本当に自分のことながらイライラする。

「自分は出来ない人間である」にも関わらずイライラしやすいので、困ったものだ。せめて出来ない=出来なくてもイライラしない、だといい。出来ない事柄にイライラしない、出来ない人にイライラしない、出来ない自分にイライラしない。

だけどイライラしちゃうんだな、これが。

最近はわたしが数日(その日も半日以上)費やして出来なかったパソコン関連のことを、夫がものの数分で解決したということがあった。

まず、「わたしの時間を返して」と思ったよね。そして泣いた。

下手の考え休むに似たりという諺がありますが、これは「 よい考えも浮かばないのに長く考え込むのは何の役にも立たず、時間の無駄」という意味だけれども、これ以下ですよわたしがやていることは。

突然パソコンでこれまでやっていたことが出来なくなって、思いつく限りのことをやってみて、機械の再起動も何度もした。検索検索して調べまくり、ああどこうだとやってみても出来なくて「なんなのーーーーー!!」と大声を出し、机をたたき、イライラし、家中歩きまわって、突っ伏して頭を抱え、それでも出来なくてべそをかいて、出来ないからいったん諦めて次の日もそれを繰り返してイライラして・・・、というところの夫の数分。

なんかね、これはもう本当にムダだと思います。わたしはパソコン関連は(パソコン関連に限らずかもしれないけど特に)苦手。物凄く苦手だし嫌い。そういうものを自分でなんとかしようと奮闘しても、良い結果を生むどころかむしろマイナスですね。

分からずに何かをクリックして、ウイルスに感染するとか、ipadとかパソコンが動かなくなるとかデータが全部なくなるとか、普通にありそうだもの。

それなのにね、ここまでできない人間がやる必要があるのかなと思う。わたしがこのことに取り組んでいた時間を、別のことに取り組んでいたら、このことよりは結果が挙げられたと思うの。例えば買い物に行くこともできたし、心地良く昼寝するとか、読書するとか。

わたしは自分でやるとむしろマイナスになりかねないことを、イライラしながらやってしかも出来ないというのはね、本当に何をやっているんだかと思います。自分でもイヤになる。

だから誰か聞ける人がいる環境なら、直ちに人に聞いた方がいい。すぐに助けてもらったり、別の人にやってもらったほうがいいと思うんだよね。
わたしの夫は「そんなことくらい自分でやれ」とか「自分で考えろ」とかいうけど、苦手なことを自分でやるとか考えることって、わたしのような人間にとっては効率が悪すぎる。まわりの人にとって迷惑ですらあると思う。
マイナスになるくらいなら考えない方が、やらない方がいい。ということもある。

いつもいつも人に頼れる環境ばかりではないから、自分でやらざるを得ないこともたくさんあるし、むしろ自分でできた方がいいんだけど、こうも「自分で出来ない」ことがどんどん積み重なっていくと「自分でやるのってムダだな。こんなことも出来ないなんて、ホントに嫌になる」と思うし、つくづく自分の出来なさ加減にぐったり。

自分にはいろいろなことが出来ないと理解し、受け入れ、あきらめてもいるわたしだからいいけど、「自分は出来る」という人が突然のわたしの肉体に宿ってこの人生を歩まないといけないとしたら、スーパーイライラするだろうなと思います。

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