タイトル通りなんですが、なんの話なのかというと、わたしの母の趣味の話です。
わたしの母は多趣味で、昔から何か始めたらすぐに飽きて、他の趣味を始めています。そのたびに家にはその時にハマっていた作品を飾られて、その趣味のない人間(わたし)にとっては大迷惑ということが繰り返されていました。ある時は石粘土で作られたティッシュケースばかりが家の中にあったし、ある時は人形が飾られていたし、またある時は手編みのセーター。
これなぜ困るのか?というと、ことごとく彼女の趣味とわたしの趣味・センスが合わないからです。手編みのセーターは「なんでそんな変な色の毛糸を買うのか?」と首をかしげたくなるような毛糸ばかり買っていたし、そういう気色の悪い色で作られた作品を着せられるのは苦痛でしかありませんでした。
それでも母親に気を使って遠慮をして生きてきた当時のわたしは「嫌なのに嫌と言えず、嫌だと思いながら嫌だという顔をしないで気持ちの悪いセーターを着る」という苦行をしていました。今思えば。「そんなセーター、キライ」って言っちゃえば良かったのに。
人形作りに凝っていた時は、やはり家中に人形が飾れていました。立った人形だったり、座った人形だったりいろいろでしたが、表情も嫌だし、人形に着せていた服もダサイし、なにより人形という物体がわたしは好きではありません。というかむしろ嫌い、大嫌いです。人形ってなんか怖いから。
それらは彼女が趣味でやっていることだし、結婚後は一緒に住んでいないので、彼女の家のなかをどんなもので飾られようとわたしにとってはもうどうだっていいことなのです。
しかし、先日久しぶりに実家を訪ねた時にふと母が言っていたことで、趣味について考えさせられたことがあります。
彼女は数年前から折り紙をやっていました。折り紙教室に通って、折り紙を折っていたのです。そして今、折り紙教室関係で何かと面倒くさいことになっていると。
折り紙をお友達と折っている分には楽しいけど、ただ楽しみたいだけなのにいろんな責任を押し付けられたり、先生の人柄に問題があったり、嫌味を言われたり、グループで差別されたり、なんだかんだと趣味の教室にもいろいろあると。話をざっとまとめると、結局は人間関係なんですよね。
聞いていて思ったことは


ちなみに今現在、母は加賀ゆびぬきという趣味にハマっています。最初はフェリシモで始めたと言っていました。これは指にはめる輪っかなのですが、作品が(指にはめるものなので)小さく、場所をとらないという点がとても良いと思います。