わたしだってピンクと和解したい

わたしの好きな有名人にジェーン・スー女史がいる。
ウィキペディアによると、コラムニスト・ラジオパーソナリティであって、自称「未婚のプロ」。

わたしは彼女の書く文章が好きでよく読んでいる。同じ中年女性としてほっとする部分もあれば、未婚を楽しんでいるワクワク感も伝わってきて、リラックスしたい時にはぴったりの読み物。
そんな彼女の書いた文章の中で「ピンクと和解せよ」というタイトルのお話がある。ごく簡単に内容をまとめると、昔はピンクは苦手だったけど、最近ピンクを受け入れられるようになった、というお話。わたしはこれに激しく同意する部分があった。それが「ピンクが苦手」という部分。

わたしの中で、ピンクはあらゆる色の中で特に女性らしい色。最近でこそピンク色の髪をしている男性も見かけるようになったけれど、それは珍しいから目立つだけで、今でも「ピンク=女の色」という基本路線は変わらないと思う。

katyandgeorge / Pixabay

わたしだって幼いころはピンク色が好きだった。幼稚園くらいまでは、「ピンクが好き」と恥ずかしげもなく言えた。自分に似合うとか似合わないとか自分には適さない色なんじゃないかとかそういうことは何も気にすることも考えることもなく、ただ好きだった。

わたしが幼いころ、女子の間で流行っていたキャクターはキティちゃんとキキララちゃんだった。キティちゃん派は赤・キキララちゃん派はピンク。女として、赤なのかピンクなのか?を最初に選択する場面だった。

どちらも女性らしい色だけど、受ける印象は全く違う。赤はキリっとしていて引き締まっていて、凛として都会的でかっこいい。ピンクは女らしく優しく、丸みを帯びて、ふわふわして、はかなく、花のような感じ。赤は大人の自立したイメージで、逆にピンクはみんなが助けてくれるようなイメージ。これはあくまでも完全にわたしの個人的なイメージだけど、おおよそこんな感じだと思う。

わたしはピンクが好きだったので、キキララちゃん派だった。誕生日にはピンクのレースのお洋服も買ってもらった。今でも覚えているけれど、その服は高かったらしく、普段には着せてもらえなかった。母親に「お誕生日会にね」と言われたことは憶えている。その後お誕生日会が無事に開かれたのか、その場で着ることが出来たのか?までは憶えていないけれど、いつのまにか大きくなってしまった私は、その素敵なピンクのお洋服を着た記憶はない。「こんなことになるのだったら、もったいないと思わずに、もっと着ておけば良かったね」的なことを大人になったわたしに母親が言った。その通りだよ!

洋服なんて着てなんぼのものなのに、いい(高い)お洋服はもったいないから、汚れるのが嫌だから着ない。こういうことって往々にしてある。

今の私が母親なら、ピンクのレースの服が着たいとわが子が言ったなら「どんどん着たまえ。汚れたってなんだって、気に入った服を着るといい。もったいないと思って保管しておいて、着れなくなるほうがもったいない。」と言ってあげたい。「カワイイと思う服を、好きなだけ着たまえ」と言ってあげたい。

中学生くらいになるとピンクとは完全に距離を置いた。自分があまりに女らしくないということに気づいたからだ。わたしはスタイルもよくなく、可愛くもないし、性格が明るくて男子にモテモテということもなかった。そんな非モテ女子に、ピンクは荷が重すぎる。

わたしの中でピンクを着ていいのは「スタイルが良くて、髪が長くて、顔も可愛くて、とにかく女子として完璧」な女。

しかしわたしはそうではない。それはもう中学生くらいから分かっていた。その後もピンクが似合う女になることはなかったし、なる兆しもなかった。可愛くてスタイルもよくて、モテモテな人生は歩んでいない。女性として、女性性を受けれいて楽しんだという記憶があまりにもない。

かくしてわたしが自分に選ぶ色はいつも暗い色だった。だいたいがグレーか黒。頑張って紺。ザ・無難。わたしはあまりにも女らしくないので、女性らしいとわたしが思う色を自分に着せることは出来なくなっていた。自分の女性性を受け入れることが難しかった。

それはずっと大人になってからも続き、相変わらずわたしのクローゼットは暗い色ばかりで、ピンクばかりか白でさえ受け入れがたくなっていた。

しかし齢40を超え、黒とかグレーという服を着るのがなかなかしんどくなってきた。色に引きずられて、気持ちまで重くなってしまうことが増えた。それに「年を取るほど、派手な服を着た方がいい」と聞いたことがあるけれど、自分が年をとった今「本当にその通りだなぁ」と思うようになった。顔も体も婆さんなら、せめて明るい色の洋服を着てその色のパワーを借りて若々しくいたほうが、明るい気持ちになれるんじゃないか。年寄りがグレーとか沈んだ色を着ているとほんとにもう、目も当てられないくらいどよーーーんとして見える(気がする)。

そんな気持ちの変化もあって、ここ数年はグレーや黒やネイビーばかりのクローゼットの中に、明るい色の服を並べたくなってきた。明るい色は、白や黄色や水色などいろいろあるけれど、なんといっても取り入れたい一番は、長年わたしと仲をこじらせているピンク。

ピンクという色は、「モテない・ダサイ・スタイルの悪い」これまで生きてきたわたし自身への恨みの象徴でもあり、わたしには似あわないというあきらめと、女性らしい女性に対する憎悪の気持ちを分かりやすくまとめた色でもある。

憎むというのは強い感情で、当然のようにその反対の感情も持ち合わせているもの。恨みと憧れ。そう、わたしは本当は「女子らしい女子」「素敵女子」になりたいのだった。女性向けのファッション雑誌には、美しく着飾った女の人が素敵なほほ笑みを浮かべている。こういう人は「わたしと同じ時代に、同じ地球に生きていて、同じ日本に住んでいて、性別まで同じ」だというのに、わたしとは別次元の人種だった。ちょっと頑張れば手が届くとか、わたしもあんなふうになりたいなんて憧れるとかそういう存在ではなく、遠く遠く、憧れることすら忘れるほど遠い距離にその人達はいた。

だけど、心の奥底の本音では「わたしだって、抜群のスタイルで、素敵なほほ笑みで、流行のファッションに身を包んで、自分が女性であることを楽しみたい」と思っていたんだと思う。でもわたしはその気持ちを認めず、「求めても自分には手に入らないもの」あきらめ、それでもあきらめきれずに、素敵な女子に対して「憧れと同時に憎しみも持つ」こじらせた女として生きてきた。そして中年になってしまった。

さて、中年になってみて多少賢くなったわたしは「いつかは来ない」ことを知った。憧れているだけでは憧れの現実はやってこない。「わたしもそうなりたい、わたしも欲しいとコトバに出さなくても、いつか誰かにその気持ちを理解してもらえる」なんてことも起こらない。

好きなものは好きだと堂々と言い、そして憧れに向かって努力する。そういう努力の先に、憧れが手に入る可能性がある。もちろん手に入らないかもしれないけど、憧れていることさえ自分の中で否定して生きているよりはマシだ。

わたしだってピンクを着てやる!!

そう強く思った出来事は数年前。たしか広尾駅だった。そこでわたしは、背が高くておしゃれな服を着こなした、雑誌から飛び出してきたようなパパが、ベビーカーを押しているのを見た。嫌な予感は的中し、そのすぐわきに、ベビーカーすら押さず微笑んでいる女がいた。服はピンク!

彼女はわたしのイメージするピンクそのままに、モデルばりのスタイルで、素敵なワンピースを着て、長い髪をさらっとおろして、にこやかにベビーカーに微笑んでいた。ぐぬぬ。

羨ましい。可愛らしい服から醸し出させる甘い雰囲気。にこやかな表情。女らしい仕草。なんだなんだピンク。不公平だ。わたしだってわたしだってかわいい服が着たい、オシャレしてピンク着たい!!ピンクの似合う女になりたい!!

わたしがベビーカーを押していたころは、ワンピースなんて着なかったし、ピンクも着ていない。それに髪を手入れする気力なんかもともとない(面倒くさい)。子どもをベビーカーにのせて、ださいセンスのない服を着てどすどすと街中のスーパーに買いものに行っていたものだった。同じ女なのにこの差。同じ「女の人生」なのに。

どちらがいいということはないし、それだけで人生の価値が測れるものじゃない。そもそも人生に価値があるとかないとかそんな話じゃない。単にわたしが憧れているだけ。女らしい、素敵な女に。髪が長くて優しそうでいい匂いがしそうな分かりやすい女らしさを持ち、だれしもがうらやむようなピンク女子に。

わたしだって女に生まれたからには女ではある。しかし悲しいかな、努力なしには自分が憧れる女子にはなれないらしい。「あの人達は別の次元の人」「わたしとは違うんだ」「わたしには手に入らない」と僻んでいるヒマがあったら、自分の心に正直になって手に入れたいと願い、その方向に努力する方が、人として正しい生き方・素直な生き方のような気がする。そしてそうして生きたほうが、人生を振り返った時に後悔が少ない気もする。

中年になった今、いつまでもピンクとピンクが似合う女を僻んでいるヒマはない。このまま同じ40年を過ごしたら、人生が終わってしまうではないか。

しかしながらわたしは未だ、ピンクと和解していない。女らしい女になりたいけれど、ピンクを堂々と着ることはまだ難しい。

試しに、昨年の夏はユニクロでピンク色のTシャツを1枚買ってみた。ウキウキして着たもののどうにも違和感が拭えず、そのTシャツは1か月でお蔵入りとなった。

今年は昨年よりもさらにピンクへの憧れが増し、捨てずにとっておいたそのピンクTシャツをそっと身に着けてみたところ、昨年のわたしよりはなぜかしっくりきた。なので今年の私は、週に数回はピンク色を身に着けるようになった。私のピンクレベルは1つ上がった。

このTシャツのピンクは、ピンクといってもスモーキーなピンクなので、ピンクレベルとしては低い。ピンクとベージュを混ぜたような色だから、ピンクが苦手でも取り入れやすい範囲の色。

いつかの日か、わたしは広尾の駅で見かけたような憧れ女子になれるのだろうか。息をするように自然に、女らしい色のワンピースを着てほほ笑むことが出来るのだろうか。その為には日々の努力が欠かせない。まずは今年はピンクのTシャツ。すこしずつピンクグッズを増やし、自分と周りの目を騙しながらピンクに慣らしていき、自然な感じで徐々にスモーキーなピンクから派手なピンクへ、ピンクレベルを上げていく。

ピンク40年計画として、最終的には80代くらいになった時に、暗い色の服を着るお婆さんではなく上品なサーモンピンクもショッキングピンクもなんでもござれなピンク女で、微笑みながら堂々と街を歩きたいと思う。そのころには広尾の女のことは忘れているだろう。

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