子どもの持久走大会を見に行って思うこと

  • 2019年11月27日
  • 2019年11月27日
  • 生活

この時期になると、小学校では持久走大会があります。そういった行事があると親は応援に行く。この応援は、強制ではありません。だからもちろん来ない人もいるけど、基本は行くわけね。

わたしはこういった学校行事が嫌でたまりません。嫌なら行かなければいいだけのことなんだけど、そこまで思い切った行動にも出られない。何となく「他のお母さんは応援に来ているのにうちのお母さんはいない、寂しい」と、子どもが思うんじゃないかと私が思ってしまうからです。

実際子どもに「お母さんに応援に来て欲しい?」と聞けば「どっちでもいい」と答えるでしょう。本当は来て欲しいけどどっちでもいいと答えている場合もあるかもしれませんが、息子の場合は心からどっちでもいい、お母さんの好きにすればいいと思うタイプ。彼にとってそんなことはどうでもよくて、家に帰ってきてからTV何見ようかとか夕飯の後でゲームいっぱいやりたいとか、そんなことの方がよっぽど重要。

運動会などほぼ強制参加の行事だと「なんで行きたくもないのに強制されないといけないんだ」と学校に対していきどおることもできますが、持久走大会の応援は強制ではないのであくまでも自分の意志で「行きたくて」行くことになります。行くという行動を、誰かのせいにすることはできない。ですので結果としてわたしは「学校には行きたくない」のに「自分の意志で、応援したくて応援しに行っている」ということになります。

わたしはもともと「子どもが頑張っている姿を絶対見たい!心から応援しに行きたい!」とはあまり思いません。だって、子どもはいつもわたしのそばにいるから。毎日イヤというほど話をして、ご飯を食べて、手分けして食器の片づけなどもやって、寝るまで一緒に過ごしているのに・・・その上で外での子どもの様子を、わざわざ見に行く必要があるかね?と思っちゃう。まぁ、どっちだっていいけど。見たっていいけど。見なくたっていいけど。

それでも自分が「子どもの為に、持久走大会の応援に行く」という仕事をしたと納得するために、「行きたくて」毎年行っています。

こんなふうに嫌だなんだと思いながらも毎年持久走大会の応援には行っているのですが、まーーーー、周りとの温度差を感じる。どんどん気分が落ち込んで、ウツ気味になって帰ってくる。周りの母親たちはこんな感じ。

いける、いけるよーーーー!
頑張ってぇ~~
ファイトファイトーー
〇〇~(名前)
最後ダッシューーー、ぬかせーーーー!
などなど。叫んでますからね。自分の子ばかりでなく、ご丁寧に他のお子さんの名前も叫んでいます。
・・・・・・・・・(わたしには出来ない)
いやね、いいんですよそれで。みんな好きに応援すればいいんだけど、なんだろうなぁこの気持ち。うるさくね?と思うと同時にうらやましい。感情のままに応援できることが。
わたしは日常生活において外で大声をだしたり感情をむき出しにしたりしないので(子どもに怒る時は瞬時に逆上するけど)、「ぬかせ、ぬかせぇぇぇーーーーー!」などと鬼気迫る様子で叫んでいる人をみると、いろいろな意味で驚くと同時にどっと疲れます。
息子が走っている時、息子の後ろを走っていた子の親がゴール前で「ぬかせーーー、○○(わたしの息子を呼び捨て)なんか抜かせぇーーー」みたいな応援の仕方をされたことがあり、そういう応援の仕方って嫌だなと思ったこともあります。どんな応援をしようとあくまで自由だけどね、それは知ってる。だけど目の前にいる相手を蹴落とす応援の仕方はちょっと・・・・と思ってしまうし、わたしはしない。
どんな子にも親がいて、その親は自分の子が一番かわいいのに。自分の子にそんなふうに言われたら嫌じゃないんだろうか。自分の子が「○○なんて」と言われるのは、たぶん嫌だよね。だけど、そこまで考えないで口から言葉が出ちゃってるんだろうな。
しかしそれが子どもたちの方にも聞こえていて「アイツのおかあさん、俺の事抜かせって言ってる。ムカツク。絶対抜かさせるもんか!」と、頑張れるタイプの子どもなら、はっぱをかけてもらって結果オーライというか、結果につながったのならむしろ「ありがとう」かもしれません。そのあたりは受け止める側のメンタルによって全然違ってきますね。
あと、「相手を蹴落とす」スポーツもあるわけだから、そういったスポーツをやってきたお母さんであればなんのためらいもなく、自分の子や自分が応援したい子以外は「蹴落とす子」というのが自然な考えなのかもしれません。
わたしは「相手を蹴落としてなんぼ」の運動をしてこなかったし、子どもたちに思うのは「みんな、それぞれ自分の力を発揮して頑張ればいいんじゃない」くらいのものです。〇〇に勝てというようなメンタリティは今のわたしには疲れます。
それにわたしにとって「大声を出す=はずかしい」なので、わたしは声に出して応援しない。こころの中で見守るのみ。
なのでわたしは息子の持久走大会の応援に行くと、周りの大音量の声援にクラクラしながら、ただ黙って息子が走っているのを見つめて帰ってきます。そして「あー、なんだろうなこの気持ちは」とモヤモヤしながら帰宅する。
本当は。わたしはわたしの殻を破って大声を出して誰よりも全力で応援をしたいのかもしれなくて、それができる人がうらやましいのかもしれないし、そうでないかもしれない。そういうこと考えるのも疲れる。どうして学校行事が嫌かっていうと、自分には難しい様々な現実(今回の場合だと、大声で応援するとか、本来はたくさんいるであろうママ友たちとおしゃべりするとか)をつきつけられるからかもしれません。
わたしは人込みに紛れてしかもただ立っているだけなので、息子自身もわたしが応援に行っていることは気づかないだろうけど、それはそれでよし。
いろんな感情の揺さぶりを抱えつつも「それでも今年も応援に行った」自分をまずは褒めてあげるとしよう。
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