先日、夫が「発達障害系のセミナーの資料、貰ってきたから読んでみるといいよ。勉強になると思うから」ということで、資料をくれました。詳細は不明ですが、社会全体で発達障害を抱えている人が増えており(もともといたけど「そういう人への認識が進んで、変わり者が増えたように感じる」のか、本当に発達障害の人が増えているのかちょっと分かりませんけど)、そういう人への対応を、社会としても会社としても考えるというのは現代社会の課題なのかもしれません。発達障害と診断のおりている人+グレーゾーンまで含めたら、それはもう大変な人数になるでしょう。
最近では、いろんな個性が以前に比べたら寛容に受け入れられる世の中に変わりつつあるように思います。それでもわたし個人としては(グレーゾーンを個性とみなすかということは別として)「確かに以前より風当たりは弱くなったし、社会からわたしが理解されている気がする」とか「受け入れられている気がする」なんてことはまったく思わず、あくまでもそういう発達障害は「自分の努力によって、穴埋めすべきこと」とわたし自身も思ってしまっているところがあります。自分自身の特徴・特性なのだから、社会に文句を言ったり会社に文句を言ったりしても解決しないし、なんとか自分で「自分で出来ること」を探すしかない。
もちろん、自分の苦しみについて誰かが理解の手を差し伸べてくれるならどんなに生きやすいか分かりませんけれど、何も発達障害を抱えている人だけが大変なのではないですからね。定形発達の人だって、それぞれに自分のことでいっぱいいっぱい。それなのに発達障害だから、グレーゾーンだから、「自分だけが辛いの」というツラで、周りの人に「だからなんとかしてくれ」という姿勢をとっていては、理解してもらえないし(あの人のことを理解してあげたいという気が、周りの人に起こらない)、余計に周りから浮いて居づらくなってしまうだけなんじゃないか、とわたしは思うのです。
しかし発達障害を抱えている(+グレーゾーン)「かかわるとめんどくさい人」がいっぱいいるおかげで、そういう存在を無視し続けるわけにもいかず、社会全体として「会社がそういう人にどう接したらいいのか」を考えざるを得ないという、わたしにとってはありがたい局面がやってきているとも言えます。どの会社にも「かわった人・めんどくさい人」は存在するわけで、それぞれの社員が・もしくはその会社が、そういう人とどう接するのか(どんな仕事をさせるのかとか、どういう態度で接していくのが良いのかとか)は、会社次第。真面目に対策を練る会社もあるかもしれませんが、何も考えずに「ダメ社員」の烙印を押す会社の方が多いのではないかと思います。
思い返してみても、おかしな人はどこにでもいたし、わたし自身がまず、かわってる人でもありましたしね(だけど相当無理をして「普通」に近い行動パターンを自分に押し込めてきたので、周りには「ちょっと変」というだけで、普通っぽく見えていたと思います。自分としてはいつも生きにくく、しっくりこないという感情はいつも抱えつつも)。
今日は、その資料の中で、「なるほど、こういう思考パターンは確かにあるな」と思うことがあったのでシェアしますね(例えは変えています)。
注文したハンバーグが届いた場面での行動と思考
ファミリーレストランでハンバーグを注文し、それがテーブルに届いた場面を想定しています。

ソースをかけてもよろしいでしょうか?
定形発達の場合


ASDの場合(グレーゾーンのわたしの場合)

・「よろしくない」という選択肢があるなんて聞いていないんだけど。
・「よろしくない」場合は、どうやって食べるの?塩コショウ?それとも醤油があったりする?
・「ソースかけない」場合は、何か他の食べ方を提案してくれるの?
・ソースをかけるのとかけないのとで、どう違うのかという説明を聞いていないんだから、「よろしいか」なんて判断できないじゃん。何を根拠に答えろっていうの?質問が不親切だわ。

心の声
・お店側が一番おいしいと思う状態で料理を提供してくれればいいのに、なんでわざわざ聞くの?
・「かけてよろしいでしょうか?」と聞くということは「かけてよろしい」のが前提という話なんだよね。
・ソースをかけるかけないかが本当にわたしの自由なら「かけてよろしいでしょうか?」ではなくて「あなたはどうしますか?おかけしますか?」って聞くべきじゃない?
・それなのに、なんでそんな言い方するんだろう。本当は選べなくて、こういう時は「客はお願いしますっていうべき」という向こうが期待している正解があって、そうじゃないと面倒くさい、クレーマーとか思われるんだよね。分かってる。選べないんだったら聞かなきゃいいじゃん。

・あらかじめ期待されている答え(はい、お願いします)を自分で探して答えろっていうことだよね?そんなふうに押し付けるのって、人として傲慢じゃない?本当は自由に答えてもいいはずだよね?
・どう答えるのが、納得のいくわたしとしてのベストの答え」なんだろう?「はい、お願いします」って言えば終わるのは知ってるし、だからそう言うけど、こんなことでこんなに疲れるなんて・・・

両者の違い
心の声の行数で一目瞭然なんですが、一つの刺激(店員の声掛け)に対する反応・回答が、定形発達の場合は単純で素早い。この場合「よろしいでしょうか?」と聞かれ、「はい、お願いします」と答えるまで実にスムーズにやり取りが行われています。無意識とも呼べるレベルで、その問いかけに応えており、聞かれた側は素直に返事をしているだけで、考え込むことは何もありません。
対してASD(グレーゾーン含む)の方は、これはわたしの思考を書き出してみたのですが、ざっとこれくらいのことは考えています。考えているというよりは、思考が流れてくる。結果は同じ「はい、お願いします」なのですが、そこにたどり着くまでの思考量がムダに多い。
ムダに多いんです。だけど、これらが一瞬でバー―――――っと頭の中に溢れて、ちょっと納得いかないけど(定形の人よりは少し遅いかもしれませんが)結局は「はい、お願いします」と言うわけです。そりゃ、疲れます。店員さんとのたった数秒のやりとりで、これだけの膨大な量の思考を、頭の中でぐるぐるさせているんです。普通の人からみたらただの「考えすぎ」で「めんどくさいヤツ」ですが、別に意識して考えようとしているわけではなくて、脳内にあふれてくるんです。
どうすれば、疲労せずに対応出来るようになるのか。
出来る限り何も考えず、即座に「はい、お願いします」と言ってしまう。
レストランでの「ハンバーグのソースが、かかっているかかかっていないか」くらいのレベルであればどちらを選んだにしても大したことではないので、出来る限り「余計な思考に邪魔されずに」即答するという練習をしましょう。
店員さんには、こういう言い方をしてほしい!ASDに対する好ましい声掛け
ソースの対応について、自分が考えることは「上にかけるのか、別の容器でもらうのか」の2択だと分かる。店員が自分に何を聞いているのかが明確なので、ASD(グレーゾーン含む)でも答えやすい。
「どちらがよろしいですか?」という聞き方は、「選ぶのはどちらかである」(その他の選択肢はない)というのことが明確だから分かりやすいのですが、これが「どうしますか?」という問いかけだと、「その二つ以外にも選択していいよ、という意味なのか?」「どっちも要らないというのもアリなのか?」「どうする、という聞き方は、そもそもどういう意味か?」などと思考が始まってしまいます。
答え方が出来る限り明確・限定される質問で、具体的に聞いてあげて下さい。
あいまいな聞き方をされると何が言いたいのか読み取れず、意図を探るのにムダに疲れるので避けてほしいです。
日常での質問例を挙げてみます。
答えにくい質問の仕方 | 心の声 | 良い質問の仕方 |
「何が食べたい?」 | いつ食べる話をしてるの?食事なの?デザートなの?本当になんでもいいの?食べたいものを聞くのは、「それを買いにつれて行ってくれる」という意味なの?それともただ聞いてるだけ?価格の上限も考えないといけないの?個人的な趣味を聞かれてるの?一人で食べるの? | 「今日のお昼に2人で外食するなら、中華と和食どっちがいい?」 「ただ聞いてるだけなんだけど、食べたいものが何でも目の前に現れるとしたら、今なら何がいい?」 |
「明日、ヒマ?」 | ヒマって聞き方は何?本当にヒマかどうかだけが知りたいなら、やりたいことはあるからヒマじゃないけど、聞きたいことはそれなの?そもそもヒマという定義はなんなの?どこかへ一緒に出掛けなければいけないのなら、そちらを優先するし、興味のないところなら行きたくないし、なんでそんなあいまいな聞き方するんだろう?ヒマかどうか確認する目的は?だいたい、こんな聞き方をしてきてイライラさせてくるような人間に何も答えたくないんだけど。 | 「明日××時に〇〇へ買いものに出かけるんだけど、一緒に行く?」 「明日の午後、時間があるようだったら家の掃除を手伝ってくれない?」 |
「最近どう?」 | 漠然としすぎてて意味不明、最近どうかって、何について聞いてるの?そんなあいまいな聞き方をするくらいだから、あいさつ程度のもので、本当はなにも知りたくはないんだよね?それなのにどう答ろっていうの? | 「最近、花粉症の症状は出てる?」 「先週は体調が悪かったみたいだけど、元気になった?」 |
最初から言い切る言い方で言われれば、自分に選択の余地はありません。仮に自分としては「ソースはかけてほしくない」と思っていたとしても、既に「ソース=かける」と言い切られているので、受け入れるしかないのです。そこは素直に飲み込むことが出来ます。
また、何も聞かれてはいないので「店員が何を聞いているのか・どう答えるのを期待されているのか、自分のベストの答えは何なのか」について考える必要がないのでラクです。
発達障害(ASD)グレーゾーン的思考 外食編:まとめ
今回は外食時におこるうる一例を紹介しました。相手の意図をくみ取ろう、正確に答えようとするあまり、答えにたどり着くまでに膨大な思考を重ね、答えを出す前に疲れる。これ、「あるある」です。相手の上げ足をとりたいとか、ただ店員に文句を言って絡みたいとかじゃ、決してないんです。
相手は「ただマニュアル通りに聞いている」だけとか「深い意図はなく、気軽に聞いている」だけなのに「何が言いたいんだろう、質問の意図はなんだろう?本当は何を知りたいんだろう?」と、考えて込んでしまうのです。そして意図が分からないとイライラするし、答えようがないんだけど・・・ってことになります。
特にアスペ、グレーゾーン女子は気を使ってばかりだし、勝手に気を使っておいて、なんで他人にこんなにムダに気を使わされるんだろうと心の中で怒りくるったりもしますので、他人とのやり取りは非常に疲れます。日々の思考の量が多すぎることで、脳が疲労しきっているように思います。しかもそれらの思考って、どうでもいいようなものばかりなんですよね。別に、誰かの命がかかっているだとか、難しい政治の話とかそういうことではなくて、日常のほーーーんの些細なことにすぎません。些細な事だからこそ無数にあるわけで、いちいち考えてたらキリがありません(もちろん分かっています)。こういう思考の傾向は、もちろん外食だけにとどまりません。別の場面が思い浮かんだら、また書いてみたいと思います。